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南条あやの保護室(南条あや日記に関する覚え書き・「南条あやの保護室」より)

あさやみひろさんに

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1998年5月、当時高校生だった南条あやは、町田あかね氏の主宰するウェブサイト「町田あかねのおクスリ研究所」で募集されていたアンケートに返答を送り、それがきっかけとなって、同サイトに日記を載せるようになった。日記は、南条がメールで一日分の日記を送り、町田氏がそれをサイト内の一コンテンツ「現役女子高生・南条あやの部屋」としてアップロードするという形で発表された。彼女は、自傷行為をネットでカミングアウトする「リストカッター」としてカリスマ的な人気を得た。そして彼女は、翌年、高校卒業直後に向精神薬を大量に服用して死ぬ直前まで日記の発表を続けた。

彼女の死後、日記は、有志の手によって「南条あやの保護室」というサイトの一コンテンツ「南条あやちゃん日記」として再公開されている。彼女の婚約者であるヰワヲ氏の手になる「初診の方へ」によれば、「南条あやの保護室」という名称は彼女自身が決めたものだという。ヰワヲ氏は「今思えば、彼女は、保護されたかったのかもしれない」と書いている。

私は、当時、彼女の日記を巡回先の一つにしていた。彼女の卒業後、更新が全く停止していたのを心配はしていたものの、私はさほど熱心な読者だっとはいえない。しかし、そんな私でも、久しぶりの更新が彼女の死の知らせであった時の、体温が一気に下がっていくようなショックは忘れることが出来ない。私はしばらくディスプレイの前で文字通り凍り付いていた。

彼女の日記を久しぶりに読み返してみようと思った理由はよく分からない。しかし、読み終わって私は彼女のテキストからあるメッセージを受け取ったように思ったのは確かである。それは、リアルタイムで読んでいた時には全く気付かなかったものだ。そのメッセージとは、日記の中で、ある物質として、「物」として彼女の目の前にいつも現れている。私の以下の文章を読む方にも、私が手探りでその物体を探り当てていった感触を一緒に味わっていただければ幸いである。

以下、南条あや自身のテキストの引用は1998年12月1日から翌3月17日までの分は、日記の一部を収録した単行本、『卒業式まで死にません』(南条あや著 新潮社)によるものである。それ以外はウェブサイト「南条あやの保護室」(http://www.nanjou.org/)からの引用である。これは、私が以下のテキストを書き上げた初稿の時点ではサイトがまだ完成していなかったためである。そして、実を言うと私は最後にアップされた数日分をまだ読んでいない。だから、正確に言えば私は彼女の日記を読了していないのだ。多分、全てを終わらせてしまうのが嫌なのだと思う。

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さて、彼女の日記を読めば誰でもすぐに気付くように、彼女の日記の文体を特徴付けているものの一つは、その自虐的なレトリックである。それは、自分で語った内容に、すぐその場で批評めいた語句を付け加えることによって、自分で書いた文章がまるで他人の言葉であるかのような突き放した印象を与えるものだ。簡単に言えば、彼女は自分で自分にツッコミを入れる。たとえば…

明日は朝一番にレキソタンかホリゾン飲んで元気に行くぜ!!ってカンジです。(どーだか…)Nanjyo 1998.6.15

皆様に悪いお知らせがあります。今日はワタクシとっても平穏な一日で、薬を一錠も飲みませんでした。読んでいてもツマラナイかもしれません。(泣)Nanjyo 1998.6.18

気を取り直して(取り直すなよ)Nanjyo 1999.1.6

私は学年で有名人。切れ者として。人によってどこが切れているのか、認識の違いはあると思いますが。(笑)Nanjyo 1999.1.17

「元気に行くぜ」 − 「どーだか」

「悪い知らせがあります」 − 「今日は平穏な一日だったのです」

「私は切れ者として有名」 − 「いったいどこが切れてるんだか」

彼女は、一貫してこのようなアイロニックな言い回しを多用している。そして、多くの人が認めるだろうが、それが彼女の日記に一種独特な魅力を与えている。

南条あやは1998年の7月から10月にかけて閉鎖病棟に入院し、実際に「保護室」に隔離される重篤な患者を見ている。また、入院中に書き溜めた日記の中では、自分が保護室に幽閉されてしまう恐怖をも語っているのだから、「南条あやの保護室」という名称は、それ自体が自虐的なものであろう。ネーミング自体が既に自傷行為の一つなのだ。更に、彼女は1999年2月3日の日記において、差出人である町田あかね氏に対して、卒業後の日記の名称は「あやの座敷牢」でどうだろうかと提案している。保護室も座敷牢(牢屋)も、半ば強制的に幽閉される場所として、とてもネガティブなイメージを持つ存在だが、ヰワヲ氏の言葉通り、そこには「保護されたい」という肯定的なイメージも付与されているようにも思える。また、更に付け加えるなら、元々彼女の日記は、「町田あかねのおクスリ研究所」の一コンテンツだった。その一室に入居出来るのを彼女はとても喜んだのである。「研究所の一室」と「病院の保護室」は明らかに類似している。もしかしたら、彼女はそもそも「研究所」というサイト名にも惹かれたのかも知れない。

問題を引き起こす患者、あるいは犯罪者が拘束される場所である「保護室」あるいは「牢屋」には、彼女の憧れと拒絶反応の両者が混在しているように思われる。結論から言えば、「拘束されること」へのアンピバレントな・両義的な感情は、彼女の身体感覚を大きく揺るがしているのだ。

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1999年の正月に、南条は父親と一緒にスノーボードをしに行く予定になっていたのだが、それがよほど嫌だったらしい彼女は、日記の中で何度も突然のアクシデントでそれが中止になれば良いと願っている。「今年は降雪量が少ない」と父から聞かされては内心こっそりと喜び、それが行かないで済む理由になるのなら、階段から落ちて骨折しても良いとまで書くほどである。スノーボード行きが嫌なのは、スノーボード自体が得意ではないとか、親戚付き合いが鬱陶しいなどのもっともらしい理由もあるが、最大の理由は、雪山が寒いのと、渋滞だと彼女は言う。

渋滞は眠剤を使ってもいらいらするモノNanjyo 1998.12.4

渋滞で動かない車の中に閉じ込められるのは、それほどまでに嫌なことなのである。

そして、1998年6月26日、生徒達は、創作ダンスの発表を見るために学校の講堂に集まっている。

冷房も空調もない講堂に200人が集まるとどうなるでしょう。
さらに照明の関係でドア、カーテン閉めっぱなし。
あまりの蒸し暑さに気持ち悪くなりました。
でもみんなは「暑いねー」と言いながらまだ大丈夫そう…。やっぱり私の貧血が関係しているのかなぁと思いました。
ダンス発表の中でテーマが「悪夢」というダンスがありました。 前評判もなかなか良くて、楽しみにしていたら人数が3人!!
多いところで9人、少なくても5人なのでその人数に驚いたのですが、ダンス部でもないのにその3人は見事に「悪夢」というテーマを踊っていました。みんな拍手喝采。
私の拍手。でもそのダンスの音楽を聴いていたら私の自殺願望が頭をもたげていました。不思議です。
音楽を聴いて「私は死ななければ」と思ったことは初めてです。Nanjyo 1998.6.26

ここでも、彼女は閉じこめられている。そして、皆が「まだ大丈夫そう」な講堂の暗闇の中で、南条の自殺衝動は呼び覚まされている。また、比較的初期、1998年7月5日の日記で、彼女は、自身によれば「酸素不足」から来る頭痛を抑えるためセデス錠を飲んだ後、次のような不安を口にしている。

それにしても私の脳細胞はどのくらい壊れたんでしょう…怖いです。換気扇のことを「カンセンキ」と言ったりポストのことを「赤くて四角いヤツ」って言ったりする混乱が見受けられて不安です。Nanjyo 1998.7.5

これは言語障害だろうか? 薬を大量に飲んでいた彼女の脳細胞は本当に壊れたのだろうか? しかし、渋滞や講堂に詰め込まれることをあれほど毛嫌いする彼女の態度を見れば、これらの言い間違いが決して無意味なものではないことが分かる。何故なら、「カンセンキ(換気扇)」の故障は、「酸素不足」を引き起こすものなのだし、郵便物の沢山詰まったポストの中は、まるで200人の生徒が詰め込まれた講堂のごとく、きっと息苦しいものだからである。従って、これらの言い間違いは、「息苦しさ」という身体感覚の結果引き起こされたものに違いないのだ。

では、南条は、ただ単に「狭い場所に詰め込まれること」を嫌っているだけだろうか。しかし、そうでもない。たとえば、彼女はさりげなく次のように記述している。

まず、父の買った宝くじを換金。 拉致監禁って言葉、好きよ。(謎)Nanjyo 1998.11.6

無論、「拉致監禁という言葉が好きだ」というのは「換金」と「監禁」を掛けたジョークに過ぎない。しかし、そのようなジョークに込められた意味は、一貫してアイロニックな彼女の語り口に埋もれて我々が見逃しがちなものである。

また、1998年6月22日。

1時間目は全員行動に集合して「平成十一年度の入試の状況と特徴」という講演を聞かされました。私はあんまり関心がなくて聞いていなかったのですが、途中で心理学や箱庭療法の話が出てきてピクリとしました。その話はたわいのない余談であっという間に過ぎ去りましたが、箱庭療法、魅力的です。私がやったらどのような結果が出るのでしょう。でも箱庭療法をやっているところまで出かける気力がないので アディオスアミーゴ。(爆)(行動はママ)Nanjyo 1998.6.22

そして、彼女はエレベーターを好む。

クリニックのエレベーターの中の機械な匂いが大好きです。深呼吸しました。すぅはぁ。Nanjyo 1998.7.22

エレベーターの中が大好きで、そこでは思わず深呼吸するという人間も珍しいのではないか。少なくとも、渋滞している車の中や講堂が嫌いと言っていたのと同じ人間の発言とは思えないのは確かだ。

さて、1998年12月21日、南条は、入院中にお世話になった「看護婦の卵さん」宛に手紙を書いている。それは「卒業試験真っ最中」の彼女を励ますために書かれたものなのだが、驚くほど克明に記録された日記同様、とてもボリュームのある代物である。

看護婦の卵さんへ。只今卒業試験真っ最中の筈なので、励ます手紙を同人便せん7枚に綴りました。7枚は私も書きすぎだと思います。
でも私は手紙を書き出すと止まらないのです。Nanjyo 1998.12.21

南条は便せん7枚にも渡る手紙を書き終えると「無理矢理7枚目を締めくくって一枚一枚厚みがでないようにギチギチチ…と折り曲げ」、封筒に入れる。彼女が丁寧に一枚一枚便せんを折り曲げるのは、以前出した手紙が厚みがあり過ぎるという理由で戻ってきてしまったためだ。少しばかり厚みが規定を上回っていたからといっても、わざわざ差出人の元に返送する手間を考えたら、そのまま先方に届けた方が楽なのではないか、という誰でも感じるであろう理不尽な思いを、彼女も抱いている。

それから、「ドラえもん」の一見他愛もない話も興味深い。1998年12月18日、「ドラえもんの不思議」とタイトルにある日、彼女は、いつものようにクスリの話やカラオケへ行った話、東急ハンズでの買い物の様子などを書き記す合間に、たまたまテレビで見たらしい「ドラえもん」の一シーンについて書いている。

話は変わりますが、現在テレビではドラえもんとのび太が家の鍵を閉めきられたままママとパパが出掛けてしまったので外に閉め出されてがたがた震えています。…どこでもドア使って家の中に入ればいいのに…とか思ったりします。その前にドラえもんを見ている私も一体何なんでしょう…。Nanjyo 1998.12.18

この話にはあまり前後の脈絡はない。待ち合わせで一時間も待たされて寒かったという話と、家の外でがたがた震えているのび太とドラえもんが重なっているくらいである。この引用が読者に唐突な印象を与えるだろうというのは、彼女自身が「その前にドラえもんを見ている私も一体何なんでしょう…」と書いているところからも分かる。しかし、暇な休日にぼうっとテレビを見ているのは不思議でも何でもない。ごく自然な行動である。不思議なのは、彼女が何気ないアニメの一シーンを記憶に留めたことと、それをわざわざ日記に書き記したことである。それは別に大して面白いシーンではない。しかし、にも関わらず、それは彼女にとても強い印象を与えずにはおかなかった。そして彼女はそれを日記に書き留めずにはいられなかった。つまり、ここには本人自身も理解していない何かが隠蔽されているのである。

それにしても、家から閉め出されて「がたがた震えて」いるのび太とドラえもん。

「ギチギチチ…」と詰め込まれる便せんの束。

「カンセンキ」もない講堂に200人も詰め込まれた講堂で披露されるダンスと、それによって呼び覚まされた自殺衝動。

郵便物をいっぱいに溜め込んだ「赤くて四角いヤツ」。

「いらいら」する渋滞。

箱庭療法を魅力的に感じ、エレベーターの匂いが好きで、拉致監禁という言葉も好きな彼女。

「保護室」、あるいは「座敷牢」と名付けられたサイト。

私は、それらのエピソードに、ある共通した志向を感じる。「拘束されること」へのアンピバレントな・両義的な感情と、その感情によって動揺させられている彼女の身体感覚である。

次のエピソードにも拘束されているものへの憧れを感じ取ることが出来るだろう。1999年1月18日、南条は「Aちゃん」と渋谷に遊びに行っている。彼女達は5時間もカラオケボックスで歌った後、ある雑貨屋を覗くのだが、南条はそこに陳列されていた指輪の虜になってしまう。

…私は…指輪に惹かれてしまいました! 指輪をじっと見つめていたら店員のお姉さんがガラスケースを開けてくれました。ありがとう。物色しました。インドだけあって、いろいろな石の種類があって、きらびやかな世界に包まれてウットリ。気に入ったデザインで安い指輪はないモノか、見ていました。大体私の気に入る指輪は2000円台で…。Aちゃんの買い物が終わっても指輪をじっと見つめ、『まぁだ?』という台詞さえ引きずり出しました。まぁだです。Nanjyo 1999.1.18

実は、「まぁだ?」という台詞を引き出したという言い方が既に極めて南条的な言い回しなのだが、それはさておき、結局、彼女は、その店で一個、別の店で一個、Aちゃんにお金を借りてまで気に入った指輪を購入する。そこまで彼女は「ウットリ」させたのは、ガラスケースの中の「きらびやかな世界」なのである。

1999年1月11日、学校の授業でのエピソードも興味深い。

1時間目のHR、風邪でぼうっとしている南条は、机にタオルを敷いて寝ている。次の2時間目、3時間目は、録画されたテレビ番組「世界不思議発見」を見た後に、世紀末に関する話し合いをするという授業である。さて、そこで先生に「世紀末に向けて心配なことは?」という質問をされたある生徒は「伝言ダイヤル薬物事件」と答え、クスリに関して、実地体験という意味では医者以上に実践的な知識を持っているともいえる彼女の失笑を買っている。 別の生徒は元気よく「ノストラダムス!」と答え、またもやその幼稚さを彼女は内心笑っている。では、彼女自身の答は何か。実際には返答しなかったようだが、彼女が「世紀末に向けて一番心配なこと」は「オゾンホールの修復が遅れていること」である。その答も、ドラえもんの話同様、前後の脈絡がないために、やや唐突な印象を与える。むしろ、ノストラダムスの予言については、冗談めかして、何度か「予言の結果が見たい」と書いている彼女なのだ。確かに、環境破壊は現代世界にとって最重要な課題には違いないが、優等生ぶるより自分を茶化して表現することの多い彼女にしては真面目過ぎる意見だともいえる。しかし、「閉じ込められること」への関心・執着を見てきた我々にとっては、その答はとても彼女らしいものだといってよい。何故なら、オゾンホールが修復されると地球はオゾン層に閉じ込められてしまうからである。

そして1998年6月14日の日記。その日、南条は「地球とか、肉のはなし」と題された不思議な詩を発表している。彼女は、読者からは意外と好評だったらしいその詩について、「分裂入っている」、というとても彼女らしい謙遜の仕方をしている。確かにそれは一読して全体を理解出来るような代物ではない。分裂していると言ってもよい。とはいえ、そのタイトルや「感覚と実体験 閉館中何もかも見られてるんだ」という一節には目が留まらずにはいられない。それらは、この詩が分裂病とは全く関係ないある理路整然としたメッセージを伝えていることを予感させてくれる。

「地球とか、肉のはなし」

「閉館中」

オゾン層に閉じこめられてしまう恐怖。

「カンセンキ」のない講堂。

「閉じ込められること」と連動した彼女の身体感覚。つまり、「地球とか、肉のはなし」。

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拘束されることと連動したアンビバレントな感覚について見ていこう。彼女が好んで閉じ込められようとするもの、まず第一にそれは自分の布団である。そして、それは彼女の日記に頻出する四角い箱状の物体の一つである。

昨日は学校にて『家帰ったら寝逃げ計画』を立て、、 サイレース2ソラナックス3エバミール2ホリゾン2レキソタン2リスミー2を水飲み場で飲みました。降りる駅になって、足どりヨロヨロでした(読点が重なっているのはママNanjyo 1998.11.6

昨晩はやっと自分の予告通りにレンドルミン、テトラミド、ホリゾンを各一錠飲んで歯磨きをしたり氷を食べているうちに眠くなって9時までに眠ることが出来ました!!
思ったより早く効いてきて足元フラフラ〜。
軽く転びました(泣)
転んだ地点からもう立たないようにして這いずってお布団へ。Nanjyo 1998.6.23

「もう学校の月謝は払わない」と父親に怒鳴られた彼女は、布団の中から見た天井がくるくると回り始めたという。

その後、5時頃までふて寝。ふて寝でもしなければやっていられない心境だったのかも知れませんNanjyo 1999.1.252

1月31日。その日はヒルナミン50mgによってひたすら眠りの世界に誘われ、抜け出そうとしてもがき、でも結局底なし沼にはまるように眠りの世界に溺れ殆ど一日中眠っていました。Nanjyo 1999.2.1

父親との衝突など、彼女を鬱に突入させるような事件があった後、彼女は「ヨロヨロ」「フラフラ」しながらも布団へと向かう。そして睡眠薬の力を借りて寝逃げする。布団は家の中では唯一の安息の場所である。

夢を見ました。薬ナシで眠ると夢を見ることが多いです。だから入院中は殆ど夢を見なくなっていたのか…。夢の中身は、桜吹雪散る4月、花びらが浮かび上がるピンク色の川に答申、入水自殺を図る夢でした。しかし飛び込んでみると川底に穴があって、そこに入ると押し入れの中でした。(笑)自殺しようとしていたことも忘れ、そこに置いてあった高そうな羽毛布団を抱えて地上に舞い戻る夢でした。どうやって戻ったのかは謎です。夢には謎が多いモノですから。(答申はママ)Nanjyo 1998.10.16

夢の中で高級そうな羽毛布団を抱きながら目覚めたこの日、気分はとても晴れやかだったと彼女は言う。このように、布団とは安らげる、あるいは鬱から逃れて寝逃げ出来る場所なのだ。とはいえ、そこは一時的な安息所であったとしても、決して永遠の安息の地ではない。何故なら、狭いアパートの隣の部屋、というより仕切り代わりのカーテンのすぐ向こうには父親がいるからである。たとえば、1998年6月12日深夜、気持ちよくネットを巡回していた彼女は父親に「口笛をやめろ」と言われ、「その冷たい言葉を聞いて口笛を止め、ネット回線を切断。PCの電源を落として父との部屋の仕切りであるカーテンを閉めて消灯。寝たフリをしながら静かに泣き始める」。そして、その後、「メラトニンを服用して眠りについて30分後くらいに、父が帰ってきました。部屋の仕切りのカーテンを半分開けました。まぶしいです。『まぶしいからカーテン閉めて…』と言ったところ怒り始めたのです。『なに夕方から寝ていやがるんだ』とか言われました。

また、1998年7月7日の夢。

レキソタンのお陰か、恐怖の感情は消え去っていました。2時頃…何となく苦しくて起きたら 部屋のカーテンがずたずたに切り裂かれて、部屋がメチャメチャに荒らされて、私も今まさに刃物を持った男に殺されそうになっていました。
泣きながら目覚めて意味不明の言葉を吐きそうになったのですが、親が帰宅していたので必至に我慢していました。
つまり、 夢だったんです。(必至はママ)Nanjyo 1998.7.7

あるいは…

私の部屋から父の金庫が無くなってスッキリ。年頃の娘の部屋に父の金庫があること自体が変だったんですよね〜。あと、父の洋服箪笥も私の部屋にあって、これも父の部屋に投げつけて、部屋の仕切りのカーテンをちゃんとしたふすまに変えたいのですがこればかりは狭いアパートの中、妥協せざるえません。Nanjyo 1998.10.18

夜にふと目が覚めると、父との部屋の仕切りのカーテンの隙間から光が漏れてきて眩しいんです。
それを『眩しい』と言おうとすると 『あうういいおお』と、声にならない声が出ます。自分の思ったように声が出ないのです。
父は 『水?何だ?』と聞いてきて、私は相変わらず『 あういい、あーえんいええ(眩しい、カーテン閉めて)』とかみ合わない会話をしています。Nanjyo 1998.10.22

薄いカーテン一枚では彼女の安眠はすぐさま破られてしまう。カーテンの向こうからは、まぶしい光・デリカシーのない言葉・暴力的な夢などが侵入してくるからだ。また、元々ある父親の金庫も邪魔である。言うまでもないが、金庫もまた「四角い箱状の物体」だ。ただし、他人の。

そして、カーテンといえば、南条は入院中もベッド一つ一つに備えられたカーテンをとても気にしている。その隙間がどれだけ開けられるかは、そのベッドの患者が自分にどれだけ心を開いてくれたかの目安でもある。

1998年8月5日、入院初期。

で!!!お部屋に帰ったらすでにいらしてました新患さん!!「ケイ」さんと言う人で、ナースに「入院案内」をもらっている最中でした。ナースに「こちら南条さん。よろしくね。」と言われたので「南条あやです。よろしくお願いします。」と言ったら「あ…よろしくお願いします。」と人間の言葉を話してくれたのでメチャクチャ嬉しかったです。
しかし。彼女は部屋のカーテンを全部閉めています。完全に私と相川のバアさんと隔絶した世界を作っております。今、私もケイさんも同じ部屋にいるのですが、恐ろしいことが…!!!静かな空間で、いきなりケイさんが「はっははは。」(黒)という笑い声が。空間が…時がストップしました。それでもまだ部屋にいたらもう一度「はっふふふ…(真っ黒)」な笑い声が…。Nanjyo 1998.8.5

楽しみにしていた新患のケイさんは心のカーテンを閉め切っている。

また、やや奇妙なことだが、南条は度々布団の中で足がつる経験をしている。

昨晩はまたしてもネットをするために眠剤を飲まず、精力的に(しつこいとも言う)あかね様のところの掲示板に書き込んだりして3時半に眠りました。
朝方、足がつりました。本当に痛かったです。
身長伸びる気配もないのに足なんかつりやがって。ムカツキます。あー身長160は欲しいなぁ。(現在153cmです)
足つりがおさまってまた眠りに入ったのですが、目覚めるとナゼか気分爽快」Nanjyo 1998.6.16

そういえば今日、また朝方左足がつってあまりの痛さに『ぎゃぁぁぁぁ』と叫んで起きました。ホントに痛い…。背ものびないくせに…(怒)Nanjyo 1998.6.18

そういえば、寝ているときに足がつったと思ったら、一晩で 3回もつりましたよ。左足だけ。本当に『ぎゃああああああああああ』って叫ぶくらい痛いんです。寝ている父親に関わらず『ぎゃあああああああああ』って叫んじゃう痛さなんです。
このため、何だか熟睡した気分になれませんでした。
期末試験が近づきつつありますが勉強もしないし寝ることくらいしかする事がないんですネェ…Nanjyo 1998.6.28

高まる脈拍、そして足が度々つるのは「閉じ込められること」に関係した身体感覚の変調の一つであろう。実際、布団は彼女の身体の一部である。彼女がなにより毛嫌いするのは、睡眠中、他人に布団を触られることだ。たとえば、1999年1月21日の日記では、彼女は父親に布団の枕元の方を踏まれて激怒している。また、入院してすぐ、1998年7月30日の日記では、同室の女性の何気ない仕草に過敏に反応している。

19時15分
部屋のババアが「カーテンしめましょね」と言って、また私の側のカーテンを閉めようとするのです。だーーーー!外は暗いでしょ?なんて閉める必要があるのっ!? 8時半ころ閉めればいいでしょ!?
………それはともかく、カーテンを閉めるときに私のベッドの足下の柵にかけてあったバスタオルにまた触った。
ぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
最低最低最低最低。
こういうの我慢できませんっ!!!! 後で主治医かナースに相談。でもこの部屋に来られて「困ったことありませんか?」と聞かれてもババアいるので、答えられないから「ここでは言えません」と書いた紙を用意しておきます。

あ〜〜、ムカツク。レキソタン飲んでるのにぃーーーー!! 。Nanjyo 1998.7.30

彼女は看護婦にすら自分の布団に触って欲しくないのである。この接触忌避は常に彼女を悩ましている。

その他の例を見てみよう。

 1998年12月12日の日記によれば、前日、試験中だった南条は、昼頃自宅に戻ると、まず「ホットカーペットで温めておいたヌクイ布団」に入って仮眠をとってから、深夜試験勉強を始めようと思っている。ところが、いつも昼過ぎに起き出してくる父親が、そそくさと寝てしまったあやの態度を勘違いして激怒し始める。彼女の言葉によれば、父親は「私が眠っているのは父と接触したくないために眠っていると思って」怒り出した。しかし、ここでの彼女の文章はやや不自然だ。「接触したくない」の部分は、「顔を合わせたくない」「話したくない」としても通じるし、むしろその方が自然だろう。たとえば、「父は私が眠っているのは父と顔を合わせたくないからだと勘違いして怒り出した」という風に。ところが南条は「接触」という言葉を使う。父子の関わりを表現するにしては妙に肉体的な表現である。父親は、寝ているあやを見て、あやが自分との「接触」を嫌っているのだと思ったのだと、彼女は判断した。ということは、「接触忌避」を抱いているのは父親ではなくやはり彼女の方なのである。ここでの父親は彼女の心を映す鏡だ。やはり彼女は、寝ている自分、「ホットカーペットで温めておいたヌクイ布団」に気持ちよく潜り込んでいる自分には誰にも接触して欲しくないのである。

また、別冊宝島『自殺したい人々』に掲載された死直前の文章、リストカットを始めた直後から現在までを振り返ったテキストの中で、私が目を留めずにいられなかったエピソードは次のようなものである。

余談ですが、私は自分の布団を人に触られるのが大嫌いで、いつも集団で旅行に行ってみんなで眠るときは誰かが私の布団を踏まないか、常に緊張していましたが、この旅行の時は「私布団を触られると眠れなくなるから、ごめん」と言って、押し入れの上の段に布団を敷いてドラえもんのようになって眠ったので快適に眠ることが出来ました。Nanjyo 1999

これは遠足でのエピソードだ。南条は、クラスメートですら、いつ布団に触るかとびくびくしているのである。だからわざわざ押入で寝たのである。そこまでしてやっと彼女は安心して寝られるのだ。私は、この話を読んで胸を衝かれる思いをした。

しかし、これは、彼女曰く余談である。家から閉め出されてがたがた震えているのび太とドラえもんの話や講堂で聞かされた「箱庭療法」の話も余談であった。しかし、注目すべきなのは、彼女がここで押入の中で「ドラえもんのようになって眠った」と書いていることだ。ここで、既に引用した、1998年10月16日の日記に記録されている夢を思い出してみよう。その夢で彼女は「花びらが浮かび上がるピンク色の川」に投身自殺を試みた後、川底の穴に入る。そこは押入であり、彼女は高級そうな羽毛布団を手に入れ、珍しくとてもさわやかな朝を迎えることが出来たのだった。

おだやかで、晴れやかな朝日。

押入の中の気持ちの良い布団。

夢に現れた川底の穴が彼女にとっての「どこでもドア」でなかったとしたら、いったい何だというのだろう。

[5]

南条は押入で初めて安眠出来たのだという。つまり、むしろいつ人に触られるか分からない布団という「四角い箱状の物体」より、押入という「四角い箱状の物体」が彼女にとっての安息の地なのだ。しかし、所詮は自宅の一部である押入(あるいは、そもそも自宅に押入はないのかも知れない)以上に落ち着けるのは、学校の保健室や病院のベッドである。入院前、常に貧血気味だった彼女は何かあるとすぐに保健室のベッドで休んでいる。終業式などずっと立ち続けなければならない行事の時などは特に。そして、彼女は出来たら入院してみたいと考えている。

推薦のことを気にしなくて良いなら今すぐにでも入院しちゃいたいです。うう。Nanjyo 1998.6.15

「入院したい」という願望を口にすると父親を刺激するため、彼女は表面上平静を装いつつ入院に向けて画策する。そして、夏休み中、ついに彼女は閉鎖病棟に入院する。入院が彼女にとってどれだけ快適だったかは、退院後、1998年12月25日「入院は私の生きる目標だ!」と書いていることからも分かるだろう。

また、しばしば彼女は入院中の思い出を甦らせては鬱々としているし、退院後、挨拶がてら病院に遊びに行ったエピソードは、殺伐とした話の多い彼女の日記の中で際だって明るいものだ。

もう病院に着くのが楽しみでルルルンらららんと軽やかな足どりです。電車を乗り換えて、20分ほど。バス停を探して迷って5分。(泣)
バスに乗って20分ほど。いよいよ到着しました。懐かしい建物。懐かしい匂い。雰囲気。
火曜日は室内レクリエーションかしら?屋外レクリエーション?屋外レクだったら無理矢理参加して中庭でバトミントンしてやるぅぅ!と固く決意していました。
室内でも卓球だったら参加してやるぅぅと思っていました。とにかくホールへ侵入しようと『企んでいた』のではなく、夢見ていたのです。儚く散りましたけど…。Nanjyo 1998.10.27

あやは、ホールへ侵入しようと企んでいたのではない。それを「夢見ていた」のだ。

入院中の日記で、彼女は同室の患者の様子や食事の内容などを克明に記録しているが、同じように関心を持って書き記しているのは部屋ごとの患者の移動についてである。つまり、どの部屋(箱)に誰が入り、どの部屋(箱)から誰が出ていったかという記録だ。また、入院生活のリクリエーションで最も熱中したのは卓球と麻雀の二つである。彼女はどちらもかなり腕をあげたらしい。上がり方もろくに知らない麻雀は一人前に打てるようになったし、退院後、学校の体育の授業での卓球には連勝に継ぐ連勝を治めているのだから。そして、そのどちらもが「四角い箱状の盤」の上でのゲームである。

それから、学校の勉強は苦手だという彼女だが、国語、特に漢字の書き取りは得意だったらしい。漢字コンクールでは、黙っていても80点は取るし出来れば満点を取りたいと豪語している。また、入院中も、漢字の書き取りだけは熱心に勉強している。

こないだの外泊の時に持ってきたペン習字のテキストをホールでやっていました。Nanjyo 1998.9.16

再放送『星の金貨』を見ながらペン習字を黙々とやりつづけました。Nanjyo 1998.9.18

ペン習字のテキストをせっせとやる。 遅れると大変なので。Nanjyo 1998.9.29

ペン習字をホールで開始。根気詰めると疲れます。 そのうち何か眠くなってきたんですけど眠るなとがんばって起きてました。Nanjyo 1998.9.30

ペン習字やってたら、ちょっと私の苦手なナースが来て、退院した後のことについてとくとくと説教(に私は聞こえた)し始めました。Nanjyo 1998.10.1

ノートという四角い物体のページを丁寧に一つ一つ埋めていく、漢字の書き取り・ペン習字とは、外界を遮断したとても孤独な作業だ。彼女は先生が黒板に書いた内容をノートに写し取る時は、出来るだけ「きれいなノート」(1998年6月30日)になるよう、心がけているという。また、1998年10月22日、試験前日の電車の中では、彼女はこんなことを思っている。「電車の中で見つめるノートは文字でいっぱい。一見サイコです。 っていうかサイコそのものなのかも知れません。ははは」

彼女はノートを「文字でいっぱい」にする。出来るだけ綺麗に。出来るだけ完璧に。そして、我々が目にしている彼女のテキスト、日記そのものがまたそうではないか。彼女は、日記という日々の記録(文字)で、コンピューターという「四角い箱状の物体」をいっぱいにする。ほぼ毎日日記を書き記すという彼女の熱心さ、固執。また、その驚くほどの量。それは我々を圧倒せずにはいられない。

ところが、単行本の略歴によれば、彼女は、死の前日、コンピューターのハードディスクに残っていたデータを全て消去していたという。

さて、彼女の入院の理由は直接には貧血治療のためであり、その貧血は度重なるリストカットによって引き起こされたものだ。

1998年6月28日の日記で、彼女は「あー、だがしかしですねぇ、リストカットと入院したいことはあんまり関係ないんですよねぇ…」と言っているのだが、自傷と「閉じ込められること」へのアンビバレントな感情は明らかに関連していると言わざるを得ない。実際、彼女が入院中にただ一度だけリストカットしてしまうのは、最初の退院予定日の直前であった。そこに込められた「私、まだここにいたいの」というメッセージを読みとるなという方が無理であろう。また、1998年7月3日にはリストカットの後、父親の許可を取った上で救急車を呼び病院に運ばれている。それでも入院とリストカットは無関係なのだろうか。

ところが、貧血治療のために入院した病院だというのに、そこを出た後、彼女は実に頻繁に献血ルームを訪れるようになる。そこはいわば病院の代わりだったのであろう。献血ルームは「あまりに居心地がいいのですぐ長居してしまう」(1999年2月5日)ような場所である。そこにいるのは優しい人達ばかりだし、落ち着けるベッドや好物のクッキー・ドーナツは完備され、彼女が愛してやまないアクエリアスも無料で提供される。(彼女はクスリを飲む時は決まってアクエリアスだ)なにより、彼女がそこで行っているのは人助けである。つまり、そこでは彼女は紛れもなく必要とされる人間なのだ。献血ルームはアイデンティティの保証を与えてくれる。もっとも、皮肉なことに彼女は三つ子だと嘘を吐いて、つまり、名前の上でだけとはいえ人格を分裂させることで規定以上の過度の献血を行ったりしている。そのため、退院直後の10月27日には「男性並に濃い」と驚かれた血液は、翌年2月28日には「比重が軽過ぎる」として献血を拒否されるまでになってしまう。また貧血状態へ逆戻りなのだ。そして、その代わりとでもいうように、彼女はその日、病院の待合室でリストカットしてしまう。彼女は、過度の献血をリストカットの衝動を抑えるためだと説明しているのだから、献血が出来なくなってリストカットしてしまうのは一応辻褄が合っている。しかし、彼女にとって献血とは単にリストカットの衝動を抑えるための行為ではない。彼女が献血するのは、むしろ献血ルームに行きたいからである。そこが「あまりに居心地がいいのですぐ長居してしまう」ほどの安らぎを与えてくれる場所だからである。

彼女は、学校の旅行中、布団を触られるのが嫌で押入の中で寝た。押入は夢の中では高級そうな羽毛布団があってドラえもんのように安眠出来る場所である。そして、献血ルームとは自傷してしまうのが嫌で代わりに献血してもらう場所である。そこはとても居心地がいい。献血すれば献血ルームでしばし休息する権利を得られる。彼女は献血という一種の自傷で安らぎを得る。

身体感覚の揺らぎ、接触忌避、自傷行為、箱に閉じ込められること。それらは何か関係がある。

[6]

ここで日記のそもそもの最初に戻ってみよう。

1998年5月28日、学校の行事でハイキングに行き、山登りしていた時のこと。

しかし、友達はゆっくり歩いているにもかかわらず、私は凄い頭痛とだるさでついていけなくなって、後続の組の人にもばんばん抜かれて一人でとぼとぼと歩いていました。
そうしたら、担任の先生(女・35才)が横に来て、前々から先生は私の体調が悪いということを感じていたらしく、「(旅行から)帰ったら病院紹介するから行ってみなさい」と言われて、紹介してもらって行ったんです。Nanjyo 1998.5.28

これが、神経科・精神科を受診する直接のきっかけである。それは、友達から遅れて、山道を一人フラフラ歩いている時に得られた。日記の発表を始めたこの頃、中学生以来のリストカット癖から来る極度の貧血状態とオーバードーズ気味の薬剤服用のせいで、彼女は通学にさえ困難を覚えるほどの状況に陥っている。彼女はいつも「フラフラ」している。

昨晩はやっと自分の予告通りにレンドルミン、テトラミド、ホリゾンを各一錠飲んで歯磨きをしたり氷を食べているうちに眠くなって9時までに眠ることが出来ました!!
思ったより早く効いてきて足元フラフラ〜。
軽く転びました(泣)
転んだ地点からもう立たないようにして這いずってお布団へNanjyo 1998.6.23

11時38分に(時計を見たのでしっかり覚えている)トイレに行きたくなって起きてトイレに行ったのですが、帰り道によろけていろんな家具に体当たりをしてみました。 痛い…。
それにしてもテトラミド。 さすがにテトラミド。すごいぜテトラミド。
…これで切れさえよかったらねぇ…。はぁ…。(ため息)
朝起きたらあんなに早く寝たにも関わらずよろよろ。
本当にゆぅぅぅぅぅっくりした慎重な歩調で学校にたどり着きました。一度椅子に座ったら、 朝の挨拶で起立するのも辛かったです。Nanjyo 1998.6.24

1時間目はテニスだったんですが、昨晩のリストカットのせいか日射しのせいかフラフラしまくっていました。
試合では嫌いな女に負けるし、体育教師には注意されるし暑いし散々でした。それで、テニスの感想文を毎回書かなくちゃいけないのですが、そこに『貧血でぼうッとしていたら先生に注意されてしまった。私は人間のくずだと思った。』と書いてみました。Nanjyo 1998.6.27

このような状態が長く続いた彼女は、貧血治療のため夏休みを利用して閉鎖病棟に入院し、点滴によって正常な血液を取り戻す。しかし、退院した後、今度は献血ルーム通いを始め、三つ子だと嘘を吐いてまで過度の献血をして、治療の効果を台無しにしてしまう。彼女は、献血はリストカット衝動を鎮めるためだと言う。いずれにしても、彼女はまた以前のように「フラフラしまくって」いる状態へ戻ってしまう。

コンビニを出て歩いていたら、自転車に乗った若い女に踵(かかと)を轢(ひ)かれました。(上手く説明できないなぁ)あんまり痛くなかったのですけど、その女の人は謝りもしないで走っていきました。
朝っぱらからウツモード突入。Nanjyo 1998.6.17

今日は図書館へ行く予定でした。本を返さないと貸し出し停止措置をとられてしまいます。ソレはやばいです。その図書館にある本は黙って持ってくれば借りられますが(おいおい)、リクエストして借りた本はカードがあって正式な手続きを済ませ、家に帰ることが出来ます。だから貸し出し停止になると〜(泣)今まで何度もその危機にあったことがあるんですけどね…(笑)
色々服装に工夫をしていこうと思っていた図書館もレボトミンでホゲェっとしている私には出来ず、フラフラするがまま次点者に乗って図書館へ向かいました。途中、信号のない道で車に轢かれそうになりました。私は悪くないぞ…歩行者優先でしょう、道は。と思いながらも運転者にぺこりと頭を下げたんです。もちろん『ごめんなさい』の意味を込めて。そしたら。
ブブーー!! ってクラクション鳴らされました。…人が下手に出ていりゃぁ…ムキーーっときて親指を下に向けて『地獄に堕ちろ』のサインをして図書館へ向かいました。ムカっ腹が立ちます。(次点者はママ)Nanjyo 1998.12.23

ここで彼女は、コンビニ(これまた四角い箱)を出た後、自転車に轢かれ、図書館に向かう途中でも車に轢かれそうになっている。しかし、「車に轢かれるのは一回経験済み」なのだと彼女は言う。

1998年7月19日の日記。

小学6年生、プールの帰りに自転車で青信号をわたろうとしたら軽く車に当てられて派手に転びました。「オヨヨヨ」と思って起きあがろうとしたところ、優しい通行人の人が私を抱えて道路脇に寝かせてくれて「大丈夫か!?大丈夫か!?」と大騒ぎになって救急車がやってきて病院に運ばれました。全然どこも痛くなかったんですけどね…。
轢いた人は平身低頭謝っていて家族は誰も飲まないビール券をくれたりしました。かすり傷くらいでどこも損傷を負っていなかった私は「何でこんなに優しいんだろう…」と謎に思っていました。大人って大変ですねぇ…。Nanjyo 1998.7.19

これらのエピソードには興味深い類似点が見られる。彼女が事故に遭うのは、決まって、コンビニや図書館やプールといった四角い箱状の物体を出た直後、あるいはそこに入る直前なのだ。箱からの出入りは彼女の身体感覚に変調をもたらす。事故に遭いやすいのはそのためだとは言えないだろうか。

1998年10月14日に記録されている夢も興味深い。それはこのようなものである。

舞台は学校。
体育館にワンサとうちの学校の生徒が集まっています。しかし何故か私は舞台の裏にいました。
「何故私だけが舞台の裏にいるのだろう…」と思っていたら、何と横に 小室哲也が。うざったるそうに前髪を掻き上げていました。 切れよ… とか冷静に思っていましたね。そうしたら、「えーそろそろ行きますよ。」と小室哲也が。
「???」と私が混乱していたらどうやら体育館の舞台の上で私と小室哲也が ライブをするらしいんですね。もちろん驚きました。「え!歌なんか歌えませんよ!」と拒否しました。でも小室哲也に説得されて。歌うことになったわけです。下手でも何でも良いと言うので。うちの学校の生徒さん達が待ちかまえていますし。
「あ、そういえば何の曲を歌うんですか?」と聞いたら、私が聞いたこともない曲名を言うんです。「知らない!何ですかその○×◆★(良く覚えていない)ってのは!私歌えませんよ!」と言ったら小室哲也がポケットから取り出したモノを私に渡して、「大丈夫。 これがすべて教えてくれるから。」と言って舞台に出ていきました。
私の手の中にあったモノ…それはうちの 学校の指定上履き…しかも誰かの履き古し………と、夢はここで終わりました。と言うかあやふやで覚えていません。
この夢の続きはずっとずっと気になり続けることでしょう。一体上履きが 何を 教えてくれたのか…これが気になります。
でも、もぉ気にしない。気になりすぎるから。(笑) (小室哲也はママ)Nanjyo 1998.10.14

この夢では、またしても、体育館、あるいは舞台という箱状の物が登場している。舞台を出た後、彼女の手に残されていたのは「上履き」である。「大丈夫。これがすべて教えてくれるから」。

箱と歩行。体育館と上履き。

夢から覚めなかったら、きっと彼女はそれを履いて歩き出していただろう。フラフラになりながらも。布団か押入か献血ルームか病院のベッドか、あるいは別の何かへ。

常に貧血でフラフラしている彼女にとって、歩くことはとても特別なことなのだろうか。1998年8月23日の日記では彼女はこう言っている。

夕食時、TVは24時間テレビか何だかをやっていて寒気がしました。この手の番組は嫌いです。偽善っぽいとかそういうのではなくて、「足の痛みをこらえて走ってます。あと32kmです」というマラソンが嫌いなのです。 おみゃーが走ってどうなるねん! と思うんです。大体、本当に足やら何やらの痛みがマラソンを盛り上げるためのウソだと疑ってかかる私です。Nanjyo 1998.8.23

「24時間テレビ」が嫌いだというのはむしろよく聞く話である。しかし、彼女の場合、その理由が奇妙だ。番組が偽善的だから嫌なのではない。足の痛みが嘘だから嫌なのだ。これは似ているようで全く異なる理由である。何故なら、そのマラソンが本物のマラソンであっても嫌なことに変わりはないのだからだ。そもそも、マラソン走者の足の痛みなど、睡眠中、突然の激痛とともにつる足や、駅や学校の階段を一段ずつやっとの思いで踏みしめながら登る辛さなど、「本当の足の痛み」を知る彼女にとっては嘘臭くて見ていられないものに過ぎないのだ。

さて、1998年10月25日には、彼女言うところの「偽薬計画」を発進させている。それは「腰の筋肉が痛いから店を休む」と言っている父親に薬の偽の効用を伝えて飲ませようという計画である。偽薬(プラシーボ)とは、本来の効用とは別の薬剤でありながら、飲んだ本人が信じ込むことによって心理的に同等の効用を発揮してしまうことをいう。

お店休みでしょう?ならこの際眠くなっても構わないんだから安定剤飲んでみる?ベンゾジアゼピン系の抗不安剤で筋弛緩作用があるから腰の痛みも軽くなると思うよ少し眠くなるかも知れれないけど飲む?」と機関銃のように息継ぎをしないでまくし立て、ソラナックスを飲ませました。筋弛緩作用があるのは本当です。安定剤だし。多分。しかし私は父の偉大なる思い込み力を実験したかったのです。
服用してから…「どう?眠くなる?筋肉は楽になるはずだよ。」暗示をかけまくり、1時間後。
父は立って歩きました。歩いて素麺を食べました。(拍手ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ)うちの父はアルプスの少女ハイジに出てくるクララ状態です。更に「さっきと全然痛みが違う。食べたのもあるのかも知れないけど凄く楽になった。」との発言が確認されています。Nanjyo 1998.10.25

この、彼女の喜びようといったら…。南条は、父親を布団から這い出させ、自分の力で歩かせようとする。思惑通り、臥せっていた父親は、まんまと起きて歩き出す。それは彼女にとって24時間テレビのマラソンより感動的な光景である。

「クララ状態」の父親と、いつも「フラフラ状態」のあや。

また、1998年7月16日。彼女は、美術の予備校に通う友達に会っている。その友達は、南条自身の「壮絶なリストカットの写真」をお守りとして持ち歩いている「変わり者」である。友達によれば「その写真を予備校の先生に見せたところ、『あ、ボクだめ…』と言ってフラフラと先生は離れていってしまった」そうだ。彼女のリストカットは、縦に何筋か、どころではない「縦横無尽血管集中型」(1998年6月27日)、これ以上切ったら縫うのが不可能になると医者に厳重に注意されるほどの強烈なものである。いきなりそれを見せられた予備校の先生がショックを受けたのも無理はない。そして、私が面白く思うのは、ここでも彼女は、父親同様、自分と同じようにフラフラ歩く人間を作り出すのに成功しているという事実である。

また、彼女の接触忌避は足を中心として起きている。コンビニを出て自転車に轢かれたのは踵だった。そして、入院中彼女が最も嫌った患者は馬場と仮に名付けた男なのだが、馬場が嫌いになった最大の理由は、彼女が嫌がっているのに足でつついてくるから(1999年1月27日)なのである。あるいは、遠足で押し入れに寝たエピソードで彼女が「布団を“踏まれるのが”嫌だから」と語っていたのを思い出してもよい。

[7]

南条の目の前に現れる四角い箱についてもうしばらく考えてみよう。

六時間目はこのまま被服室で自習かと思っていたら使う人がいるので調理室に移動させられたら…鍵が開かないみたいです。お友達がガチャガチャやってます。かなり頑張ってやっています。でも開きません。
他の友達もドアを蹴ったり押したりしながらガチャガチャやってるんですけど開きません。
ここで私が登場してカチャリと開けて『 神の手』と誉められたい讃えられたいと卑しい心を抱いて鍵開けに参加しましたが何人もガチャガチャやっているんです。私が参加したところで開くわけがありません。
やがて誰もが鍵を開けるのを諦め、先生が来るのを待ちました。でも先生が来ないんです。なんてこった…。
40人が校庭や階段にしゃがみ込んで先生を待っていました。でも来ない。私はもう一度『神の手』と呼ばれたくてカチャカチャやってました。そしたら、開いた。みんなビックリ。
『開いたよーーー』という友達の声に『誰が開けたの?』という質問。鍵を手にしている私。
友人一同『ねばり強くやるべきだったんだね。』と言われて私の手は『神の手』ではなく『努力の手』になってしまいました(笑)Nanjyo 1998.10.13

調理室から閉め出された生徒達は、家から閉め出されたのび太とドラえもんと同じ状況にある。そして南条だけが調理室という箱の鍵を開けることが出来た。「『神の手』ではなく『努力の手』になってしまいました」などと、いつものように皮肉っぽく書いているとはいえ、彼女はとても誇らしげではないか。それも無理はない。彼女はドラえもんにさえ出来なかったことをやり遂げたのだから。

さて、私は彼女の日記に頻出する「四角い箱状の物体」にある共通した特質を認める。それは、それらの箱が何かを出し入れさせるものだということである。私の考えでは、ただ単に箱から何かを出し入れさせるだけという行動の無意味さは、我々自身の生の無意味さと対応している。

物を出し入れする箱。

たとえば、図書館は本。

コンビニは商品。

プールは水。

押入は布団。

病院は患者。

学校・保健室は人。

調理室などの教室は生徒。

献血ルーム・点滴は血液。

エレベーターは人。

封筒は手紙。

金庫は金や貴重品。

ガラスケースは指輪。

それぞれが出し入れされる。

もっとも、献血や点滴が物を出し入れする行為だというのは異論があるかも知れない。通常、献血では一方的に血が採られ、点滴では液が注入されるだけだからである。しかし、彼女が特に好む成分献血では、いったん抜かれた血液は、必要な成分以外は再び身体に戻されるのである。また、入院中毎日受けていた点滴では、血液が逆流して液を押し戻し管を昇っていく様子をしばしば彼女は嬉しそうに眺めている。南条にとっては、それらは血液を出し入れする行為なのである。

そして、彼女の日記は、一日分をメールで送信しては町田あかね氏が自己のサイトにアップするという特異な形式によって発表されていたのだから、彼女はコンピューターという箱から、日記という日々の記録(文字)を出し入れしていたのだともいえる。また、彼女はテレホタイム(夜11時過ぎ)になると、その箱を通じネット世界に出入りしていた。彼女は早朝まで精力的にメールを書き、チャットをし、掲示板に書き込みをした。いずれにしても、コンピューターとは文字を出し入れすることによってネット世界への出入りを可能にする力を持った箱であるとはいえないか。

1998年11月4日、父に「学校辞めちまえ」と言われた彼女は「無言の抵抗開始。飯、完全ストップ。服薬時の水や飲み物は除きます。口だけで実行できるかどうかは分からない。でも、飯ストップ」と怒っている。だでさえ彼女は拒食症患者ほどではないにしろダイエット志向が強い。そして、父親に「学校辞めちまえ」つまり、「学校という箱を追い出すぞ」と言われた彼女はいよいよ「飯ストップ」を自分に宣言する。つまり、身体という箱への食物の出し入れを停止した訳だ。

『卒業式まで死にません』という単行本のタイトルは、彼女の日記の一節から取られたものだが、確かに彼女には「卒業したら、現役女子高生でなくなる」(1999年2月3日)、フラフラになりながらも何とか通った学校という箱から追い出されてしまうという恐怖、卒業しなければ、という気持ちと高校生というアイデンティティを失いたくないという葛藤があるように思われる。

父親に「学校辞めちまえ」と言われ退院後最初の動揺を覚えた彼女は、1999年2月27日には、再び「こんだけ好き勝手生きてりゃ満足だろう」「もう学校に全部金も払ってあるから卒業できる」と皮肉を言われ、大泣きした後、裸足で外へ飛び出し、自殺しようと屋上へ向かう。(ただし父親の注釈によれば、彼女の日記には、恐らく読者サービスのためだろうが、事実に反する記述があるという)

「夏休みに入った1日目に首吊りをしようって決めかけている」(1998年6月14日)と言うように、学校の拘束を逃れる時期は彼女にとって危機なのだ。

卒業後の進路として予定していた医療秘書の専門学校は、いつの間にか、恐らくは金銭的な理由で諦めざるを得ない状況となっている。

1998年8月8日、彼女は不思議な夢を見る。

午前4時半
夢を見て目が覚めました。夢の中で私は悲しくてないていました。そしてあまりの悲しさに何故か起きてしまいました。そうしたら現実世界でもぼろぼろ涙を流してたのです。夢の内容は…。
父の出勤後(レストランに)私はいつものように家にいたら、父の店から「枝豆を届に来てくれ」と言われたので、枝豆を届けに店まで、(2分程の道のり)帰りに何故か公衆電話で父の店に電話したらHさんが出て「パパかんかんに怒ってるよ。」と言うのです。どうやら枝豆の渡し方がいけ好かなかったようなのです。公衆電話のところでがっくりうなだれていたら、友人のYちゃんが来て「アレ?あやさん こんなところで何やってんの?」と言います。「え?」と私が聞き返すと、今から私の学校と他の男子校合同の合唱コンクールだと言うのです。主催は私と期末テストの点数でモメたことのあるバカ体育教師で、そのモメた私怨が理由で私にだけ合唱コンクールのことを教えてくれなかったのです。私は歌を歌うのが好きです。中2の時は「あやさんがいたから特別賞とれたんだよ」と言ってくれた人もいたから少しは自分でも良い歌声してるのかな?と思っています。その私に合唱コンクールを私怨で不参加にさせるのはひどすぎます。早速会場に行ってそのバカ体育教師に抗議したところ「当り前だろ」と言うのです。泣きました。そして目が覚めました。目が覚めた後も悲しくて泣いていました。Nanjyo 1998.8.8

この夢は、彼女と父親との関係を考える上でとても重要である。やや詳しく見ていく必要があるだろう。

夢の中で「枝豆を届けてくれ」と言われた彼女は、父の店まで枝豆を届ける。しかし、枝豆の受け渡しはうまくいかない。何故か彼女は公衆電話という箱状の物体に入り、そこで父の怒りを知る。また、友人の言葉からは、大好きな合唱コンクールに参加出来なかったという事実を知る。

前半の枝豆のエピソードと後半の合唱コンクールのエピソードは同じ意味内容の反復であろう。夢はしばしば同じ意味内容を別の形態で反復する。

枝豆とは、いわば中に豆の入った箱である。その豆は彼女自身に違いない。彼女は枝豆を、つまり自分の入った箱を、言いつけ通り、父の店にきちんと届けた。しかしその差し出し方が気に入らなかったのだろうか、父親は枝豆を、つまり彼女自身の入った箱を受け取ってくれず、枝豆は料理に参加させてもらえない。料理は不出来なものとなり、父親は怒り出す。合唱祭に参加出来ないことと体育教師はこの反復だろう。

いつも父親のことを悪く言う南条だが、彼の作る料理だけは常に絶賛している。つまり、恐らく、彼女は本当は父親のことが大好きなのだ。しかし、父親とのコミュニケーションはなかなかうまくとれていない。そこで彼女は、枝豆となって自分自身を父親に差し出す。そして彼女は父親がもっとも得意とする料理という行為に自分も参加して、「特別賞」さえとれるような素敵な料理に変身したいと思っている。その料理はきっと父親を喜ばすだろう。そして、父親はきっと自分を食べてくれるだろう。最上級の言葉で誉めてくれるだろう。自分は父親の手助けとなり、受け入れてもらえるだろう。「食べてもらいたい」とは「理解されたい」「愛されたい」という願望の身体的表現である。

しかし、その目論見は失敗に終わり、かえって父を怒らせてしまうのである。

私は大好きな合唱コンクールに参加出来ない。

私は料理に参加出来ない。

私は食べてもらえない。

私は大好きな人に気に入られない。

私は理解してもらえない。

私は受け入れてもらえない。

私は愛されていない。

私は仲間外れだ。

私はひとりぼっちだ。

いよいよ彼女は学校という箱からも追い出される。1999年3月11日、卒業式の翌日の日記で彼女はこのように書いている。

卒業の翌日。高校とも完全に分離したような、そんな状況です。
分離してみたら…。怖いのです。何にもなれない自分が情けなくて申し訳なくて五体満足の身体を持て余していて、どうしようもない存在だということに気付いて存在価値が分からなくなりました。
卒業という目標を達成してしまうと、次に何をしていいのか分からなくなってしまいました。所属する何かがないと、私はダメになってしまうようです。
足下は現在真っ暗。Nanjyo 1999.3.11

学校という箱から出た彼女は足下が「真っ暗」で不安なのだ。やはりフラフラしているのだ。プールから上がった時のように・図書館へ行く途中のように・コンビニを出た時のように、彼女はいつ事故に遭ってもおかしくない危険な状態にある。また、卒業を「高校とも完全に分離」「五体満足の身体を持て余」すという風に身体的に表現しているのもとても彼女らしい。

彼女は「謎おじさん」という何でも買ってくれる優しいおじさんと度々会うという、援助交際とも受け取られかねない行為をしているが、それについて、

「それは危険だわ!」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、元が自殺願望持っている私ですから、殺られようが犯らようが、路上で他の人にわからないようにナイフとかで脅されて車に押し込められてどこかへ連れて行かれて異常性愛倒錯者の犠牲者になっても、両手両足を切り取られて人間玩具や人間便器にされて外国へ売り飛ばされてもまあ良いかなという気持ちで行くのです。
途中で舌噛み切って さよ〜なら〜。
キングオブ・なげやりです。Nanjyo 1998.6.11

と、1998年6月11日の日記に書いている。6月14日にも同じような記述がある。いずれにしても、恐ろしく自虐的な空想である。学校という拘束を解かれ、「五体満足の身体を持て余」すようになるよりはましだと、半ば本気で彼女は考えていたのかも知れない。実際、1998年7月20日と翌日には、確かに物を握っている筈の左手が自分の物ではないような、身体から分離しているような感覚を味わったりもしている。

ここで連想されるのは、創作ダンスの衣装の件だ。

講堂で行われた創作ダンスの発表の最中、南条が自殺衝動を覚えた日の日記については既に触れた。彼女は、何度か、自分が参加している班の創作ダンスの練習を描写している。「この創作ダンス…こいつが私の10あるとする悩みのうちの5を占めていると思われるくらいイヤなのです」(1998年6月9日)と言う割には、彼女は真面目に練習に参加している。6月18日には、「放課後は渋谷のハンズに行って薬ケースを買おうと思っていたのですが、創作ダンスの衣装を作らないとやばいので学校で居残ることにな」ったと彼女は書いている。

班の人の体型が似ている人とペアになって型紙から作って切ったのですが…その子は被服を選択しているので『マカシテ!』というカンジだったので私は暇でそこらをうろうろ。
型紙が出来たというのでまち針で止めて縫い代を多めにとって裁ったら…なんか失敗でした。
その子が根本的な何かを間違えていたらしく、このまま縫うと身体が入りません。まあ私も『なんか変…』と思いながらも言わずに布を裁っていたのもいけないんですけどね。
その子はごめんごめんと必至に謝っていました。
私が先に布を裁って間違いに気付いたのでその子は間違いを犯さずに済みましたが、私はどうしましょうってカンジです。
…裁縫の得意な私を呼びだして継ぎ&接ぎ(つぎはぎ)。型紙通りに裁って縫うよりもステキなカンジになっていました。なかなか楽しくなって7時まで学校の被服室でミシンをかたかた言わせていました。
結果的にはとってもステキなカンジに。(必至はママ)<Nanjyo 1998.6.18

採寸を間違えた型紙に合わせて切り抜かれてしまった布を適当に継ぎ接ぎして出来上がった衣装を、彼女は「結果的にはとってもステキなカンジに」なったと喜んでいる。卒業してばらばらになってしまった身体は、布切れのように縫い合わす訳にはいかなかったのだろう。手足をもがれ拘束されるという妄想と異なり、実は箱(学校)こそが手足をつなぎ止めていたのだということが実際に卒業してみて明らかとなったのだ。

さほど仲の良くない余り者同士が班となった創作ダンスについて、「10あるとする悩みのうちの5を占めている」とまで言っていた彼女だが、実際の結果はまずまず、可もなく不可もないといったレベルだったらしい。

2時間目はいよいよダンスの発表でしたが、妄想の世界へトンでいたのでさほど緊張しませんでした。便利です。
もう発表が終わったので私をこの世に拘束する『責任』という鎖が消えました。うっかり良く評価されて学年代表に選ばれてしまうとまた金曜に踊らなければいけないのですが、班では『まず選ばれないでしょう』と楽観ムード漂っていますし、衣装をパジャマにするといっている班員もいます。(笑)Nanjyo 1998.6.22

ダンスは責任の鎖という拘束でもあったのだ。それは、気の合わないクラスメートというばらばらの衣装を一つに縫い合わせるような困難な作業なのである。彼女の手足を繋ぎ止めていたのは学校という箱だった。それが課す「責任の鎖」という拘束だった。

学校からは閉め出され、入院は金銭的に無理、献血も断られ、布団や押入も安住の地ではないとしたら、彼女が次に求めるのは一体何だろう。

1998年10月以降、特に11月3日のオフ会以降、彼女が熱中するのはカラオケである。

そして、彼女が死の場所に選んだのもカラオケボックスだった。

[8]

箱。箱からの出入り。そして箱から物を出し入れする行為の無意味さ。繰り返すが、その無意味さは、我々の生の無意味さと対応している。

南条は氷が好きで、しばしば氷を割っては食べている。しかし、1998年7月2日には、大好きなペン習字の時間に「ペットボトルの中にとけずに残っている氷を椅子にぶつけて粉砕して飲んでいた」のだが、それを教師に「あ、それは、もう、やめてくれる…?」と注意されてしまう。

はい!もちろんです。誰が悪いかって言うとうるさくしていた私が120パーセント悪い。誰がどう考えても!でも…この瞬間わりと好きな部類に入るこの先生のことを大嫌いになってしまいました。私が悪いのに…。私が悪いけど…。そして暗い気持ちに支配されて自習道具をカバンにしまってレキソタンを飲んで5、6時間目と眠り続けました。
私が悪いのは十分承知しているけどどうしてこんなに暗い気持ちになってしまうんでしょう…(涙)。Nanjyo 1998.7.2

「120パーセント悪い」というのはいつもの自虐表現だろう。彼女はその教師の言葉に納得していないからこそわざとそう書くのである。しかし、ところで、その様子は、大好きなネットを父親に注意されて泣きながらやめる状況とよく似ているとはいえないだろうか。朝までネットに熱中していたり、授業中に氷を割っていたり、悪いのは自分だ。しかしそれは十分承知しているのに気持ちは暗くなる。何故だろう。大好きな筈の父親がその一言で大嫌いになってしまう。彼女にとってそれが一番の謎なのだ。教師が何気なく注意した一言が「寝逃げ」に値するほどのショックを与えたのも、それが父親の声と重なって聞こえたからだろう。ここでは、教師の声は父親の声と対応している。また、カバンにしまわれた自習道具はあや自身と対応している。カバンとは押入だ。

そして、彼女はこの夜、またもやリストカットして大量に出血した上で昏倒し、病院に担ぎ込まれている。

ところで、私は、彼女が授業中、どのようにしてペットボトルの氷を食べていたのか気になった。どうやら、わざわざ彼女はジュースを飲み干した後のペットボトルに水を満たしてそれを凍らせていたらしい。水の出し入れ。彼女は何故か、それを注意されるのが我慢ならない。

そして、人間の身体自体が食物を取り入れては排泄する一種の箱である。たとえば、過食嘔吐の習慣を持つ者は、わざわざ後で吐き出すと知っていながら、大量の食事をとらずにはいられない。それは常識的には無意味な行動である。そしてリストカット。自らの身体をわざわざ自分で傷付ける行為。それも一般的には無意味な行為である。南条は、腕を傷付け、牛乳瓶何本分もの血をゴミ箱に溜めては捨てている。

満たされては飲まれる水。

溜められては捨てられる血。

しかし、それだけではない。彼女は注射器で生理食塩水を身体に注入する遊びもしている。無理矢理食塩水を入れられて腫れ上がった身体は、関節が皮膚に埋もれてしまうほどだ。また、多飲症を自称するほど、彼女は大量の水を摂取する。

この頃困ってるのは水をがぶがぶ飲むようになって一日四リットルくらい飲んでいます。多飲症です。Nanjyo 1998.5.28

目の前の席に栗林さんが来た。ちょっとこわかったので私は猛スピードで食べ終えました。
私はその後、O先生と面談しました。土曜なのに先生がいるのは9月になったからだとその時気付きました。私は麦茶を飲みすぎてしまう話をしました。
でっかいコップで、今朝から17杯くらい飲んでると言ったら、コップをナースに預けることになりました。(泣)Nanjyo 1998.9.12

多飲症を自称するだけでなく、あやは自分のことを「快便女王」(1998年6月9日)だとも言っている。また、点滴の際、血液をわざと逆流させてから身体に戻すこと。「自己輸血」。身体は物を出し入れする一種の箱なのだ。

しかし、どうして自分を虐げるのか、いくら考えても彼女自身その理由が分からない。関節が埋もれるほど不気味に腫れ上がった指を見て、彼女は涙を流す。

香山リカ氏によれば過食症・拒食症の少女が特に好む飲食物は、油っこい物や甘い物だ。(拙論「岡崎京子『リバーズ・エッジ』を参照)具体的には、マクビティのチョコビスケットや甘いミルクティーなどである。

南条は過食症・拒食症とは言えないものの、その嗜好は香山氏の指摘通りである。たとえば、彼女が何を飲んでいるか、日記からリストアップしてみよう。彼女がクスリを服用する時必ず飲むアクエリアスと、好きな物を好きなだけ飲む訳にはいかない入院中を別にすると、彼女が好んで口にするものは、

1998.6.17, 24, 7.13, 17、コーラ。

1998.6.21、カルアミルク。

1998.7.15、桃の天然水。

1998.10.31、紅茶。

1998.10.22, 24, 1999.1.24、ホットミルク。

1998.10.27、献血ルームで「何を飲む?と尋ねられ、ホットミルクコーヒー」。

1999.1.18、ココナツジュース。

1999.2.3、コンビニで何か甘い飲み物。

などなどである。

これだけでも、甘い物を好む嗜好が何となく見えてくるが、特筆すべきなのは、1998年10月13日に、生まれて初めて缶コーヒーを飲んだが苦かった、と書いていることだ。また、10月17日には「今日はネットサーフィンするのでコーヒーもグビグビ飲みました。う…苦い…。ボスセブン…無糖コーヒーよりはマシだけど…」とも言っている。「ボスセブン」に限らず、コーヒーの好きな人間にとっては、缶コーヒーなどただ甘ったるいだけの代物であろう。それが苦くて苦くて仕方なかったというのは、彼女の舌(味覚)が、相当甘い物の方にシフトしているのを感じさせる。

また、199年2月9日、登校の途中で喉が渇いた彼女は、自動販売機で「ナントカの雫」を買って飲んでいる。「ナントカの雫」とは恐らく「レモンの雫」であろう。が、最初の一口二口でもう喉の渇きは癒され、ジュースは「邪魔くさアイテム」と化す。「ナントカの雫」はあまりおいしくなかったらしい。実際、「レモンの雫」は天然水系のさっぱりした飲み物で、さほど甘みはない。だから彼女が好まなかったのも無理はないのである。

更には、1998年9月19日、入院中だというのに、彼女は売店でこっそり「チョコチップクッキーとロイヤルミルクティーを置いてあるだけ買って来」て飲食している。繰り返すが、拒食症・過食症の少女が最も好む食べ物はマクビティのチョコビスケットと甘いミルクティーだ。

過食嘔吐。物を出し入れする身体。

注射器遊び、多飲症。そしてリストカット。自傷行為。

血を溜めては捨てられるゴミ箱。

1998年6月21日に見た夢。

そういえば夢を見たのです。
私はサッカー選手の川口能活になっていて、クロアチアと闘っていました。私はサッカーに興味ないのに不思議です。
日本はクロアチアに10-8で負けているんですね。(凄い試合だ)で、私は迫り来るクロアチアの攻撃が怖くてサッカーゴールに頭をゴンゴンぶつけてダラダラと血を流しながら笑っているんです。
「日本の川口がおかしくなりました!!」とテレビで中継されて、新聞では号外が出ていました。Nanjyo 1998.9.12

サッカーの試合。得点は10対8という、通常、サッカーではあり得ないスコアである。彼女はキーパーとしてゴールマウスという箱を守っているのだが、得点からいって、その箱には大量のボールが出し入れされてしまっているらしい。やはり「凄い試合だ」。新聞は号外を出している。その号外とは彼女に対する警告であろう。それは、恐らく、ネットをやめさせる父親や、授業中氷を割っているのを注意する教師の声と同質のものである。氷の出し入れ同様、ここでも彼女はボールの出し入れに対して責任を感じ、ゴールに頭をぶつけ自傷している。

1998年6月28日の日記で、彼女は町田あかね氏にこう呼びかけている。

あかね様、ほんと、男が出来ると途端につき合いが悪くなる女の子っていますよねぇ。
つき合いが悪くなるのは別に良いですよ。めんどくさくないから。
でも男と別れたりすると途端に女友達のところに戻ってきてグッチャララグッチャララ愚痴とか相談されるのは鬱陶しいことこの上ないですよねぇ。
でもそういう女が現実にはわんさといます…。

私も高校一年生の時に男の人にちやほやされる感覚が楽しいということに目覚めて『 男男!!!』ってカンジで文化祭、合コン、行きまくって友達の輪を増やしまくってものすごいことになっていた女の子がいました。
特定の人がいるのに、更にその上のランクを狙ってコンパコンパ!

「昨日おごられちゃったぁぁぁ」とか「お土産もらっちゃったぁぁ」とか言いふらして非常に楽しそうにしていました。
まあそれならそれで良いんですけどね…。彼女の人生ですし。
その子は学校の屋上で煙草を吸っているのを先生に見られて一週間くらい停学になってました。
それから段々と男狂いはなりを潜めて、今は少女漫画のような センチメンタリズムに浸った片思いをなさっているようで一段落です。
メールで「今情緒安定でさーーー、好きな人に電話できたのに泣けちゃうし…。」と書いてきたことがあったので「じゃあ私と一緒に死んでみる?私と一緒に精神科行ってみる?」と迫った「 あ、タダの情緒不安定ってだけだから…。」と断られました。そりゃ当たり前ですね。 Nanjyo 1998.6.28

このように、「友情」とは彼女にとって自分勝手な都合で気楽に友達の輪から出たり入ったりするものに過ぎない。それでも友達の愚痴を聞いてやらなければならないのは、それが、箱に出入りする人間が課せられる「責任の鎖」の一つであるからだ。しかし、そんなものは、まるで創作ダンスの班分けのように鬱陶しいだけだ。

ところで、リストカットをカミングアウトした人間なら、誰しも「そんなことをして何になるのか」と言われたことがあるに違いない。「何故自分を傷付けるの? 周りの人を悲しませ、自分の身体にも傷が残るだけなのに」

しかし、私の考えでは、リストカットの無意味さは我々の生そのものの無意味さと正確に対応している。

人間の身体とは、所詮何かを出し入れする箱に過ぎないし、人間の行動とは、つまらない箱状の何か、たとえば家や会社や学校や、時として友情や創作ダンスの班などといったものに出入りするだけの無意味なものだ。

そもそも、確実に死ぬと決まっている人生で何故「努力」などというものが必要なのだろうか。どのように生きようが所詮は死ぬだけなのに。

自傷行為は確かに無意味だとしよう。しかし、では人間が生きている間に為す行為で、これだけは確実に意味があると言えることがただの一つでもあるだろうか。

確かなのは、我々はいつか一人残らず死ぬという事実だけだ。

全ての人間は、死という巨大な無意味の手前で何か意味あることを為そうとジタバタあがいている自傷患者に過ぎない。

リストカットは無意味だ。我々の生と同様に。

あるいは、リストカットには重大な意味がある。我々の生と同じ程度に。

さて、箱から出された物が、再び箱の中にしまい込まれないとしたら、それは紛失物となったからである。南条は、自分は異常に無くし物が多いと言う。無くし物は、時としてリストカットのきっかけとなる危険なものだが、彼女の紛失癖はいつまで経っても治らない。1999年2月28日には、病院の待合室で、Aちゃんからもらった腕輪を無くしたことに気付いてパニックになり、鞄から使い捨てのメスを取り出して腕を切っている。また1998年9月20の日記では「私が無くし物をすると死にそうな気持ちになるのは御存知の通り(?)」とまで書いてる。1998年7月23日には、「ボールペンとゲームボーイ充電器本体とポケモン赤のソフト」、翌24日には父親から預かった2万円を無くしている。また、入院中には、誰にも読まれたくない大事な日記帳を無くしている。

この無くし物の多さは、彼女の言によると遺伝なのだそうだ。彼女の父親も無くし物が多い。

たとえば、父とのスノーボード行きでは、南条はゲレンデで転げ回って遊んでいるうち、携帯と薬ケースを無くして慌てて探している。しかし、雪山で透明な試験管を発見することだけは無理だった。クスリを入れていた試験管。クスリを出し入れする試験管。それを無くして彼女は沈み込むのだが、友達に「携帯と薬の大半が見つかっただけで良かったじゃない。不幸中の幸いだよ」と慰められている。そして、なんと、その日、父親もハイウェイカードやカメラを無くして、「車上あらしだ」と大騒ぎしたのだ。結局、どちらも車の中にあったのだが。

遺伝子だ。遺伝子だ。無くし物をする遺伝子だ。と思いましたね。Nanjyo 1999.2.25

とはいえ、この親子、「無くし物親子」が無くした最大の紛失物とは別れた母親ではなかっただろうかというのは、あまりに拙速過ぎる断定だといえるだろう。

さて、ゲレンデでクスリをしまっていた試験管を無くして落ち込んでいたように、ほとんど毎日クスリを服用している南条にとって、薬ケース(ピルケース)は、こだわらずにはいられない大事な物である。

学校帰りに薬ケースを買いました。
曜日別に7つの小さな小部屋に別れている水色のヤツです。Nanjyo 1998.6.15

彼女は、この他に薬缶を三つ携帯し、美術の時間にはその缶の蓋にトールペイントしたりしている。ピルケースから好みのクスリを出し入れする。それが彼女の大事な日課である。そして、クスリに無知な振りをしつつ、どういう言い方をすれば医者から大好きなクスリの処方を引き出せるのか。そんな、彼女と医師との駆け引きは、日記の中でも、最もスリリングな読み物の一つである。彼女が愛してやまないクスリの筆頭はハルシオンだ。

ハルシオンため込み計画進行中でする。Nanjyo 1998.10.22

ええと、風のうわさで聞いたのですが、ソラナックスは0.4mg錠と0.8mg錠があるらしく、私が飲んでいるのは白い0.4mg錠で、0.8mg錠は薄紫だというのです。ああ。私色つきの薬大好きです。ハルシオン、レキソタンしかり。白いのはツマらんです。というわけで、今度の医者にて、0.8mg錠を欲しいよM先生〜と訴えます。訴えたいです。少なくとも0.8mg錠が紫色だということを確認したいです。
是非。ずぇひ。 っていうかゲットしたいです。 次回から32条申請適応されるらしいのでワガママ放題します。でもハルシオンなくされないように細心の注意を払いますけど。(気合いっ)
父もソラナックスの効果を褒め称えています♪ Nanjyo 1998.10.25

1999年3月16日、高校と完全に分離して、体を持て余してしまったようで怖いと書いた次の日記で、彼女が貯め込み続けたクスリはついにピルケースに入り切らなくなり溢れ出す。

卒業を目前にして、寝て起きてパソコンいじって寝るという大変悠長なナマケモノ的生活をスケジュールを送っていたため、眠剤をちゃんと飲むという習慣を忘れ医者で処方される眠剤、安定剤は貯まるばかり、とうとうその栄華を欲しいままにしていた私の巨大タッパーにも入り切らなくなるという状態になりました。イヤ、もう貯め込むのが習慣の一部というか…。
父に、この薬の量が見つかると念のため自殺しないようにと一部を、イヤ、大部分を持ち去られそうな雰囲気のため、みんな(薬)にはタンスの中に避難していただきます。Nanjyo 1999.3.16

ここで、彼女は薬のことを「みんな」と擬人化している。この擬人化は、この時、彼女自身が高校という巨大タッパーから溢れ出した直後であることを考慮すれば、とても意味のあるレトリックである。薬とは人間であり、仲間であり、更に言えば、それは彼女自身なのだ。

父親にはぞんざいに扱われ、時として捨てられそうになるが、彼女自身は心の支えとして何よりも大切にしていたクスリ達。

父親は、自分の頭痛と不眠のため、度々、薬事法違反だと嫌がるあやから薬をもらっては飲んでいて、しまいには、あやの診察時に医師が実際には診ていない父親の分の眠剤までついでに処方するまでになっている。そんな父親を見て、南条は「で もアンタ羨ましいよ。レンドルミンみたいなダメ薬でぐっすりすやすやだもんな。 あーあ」(1998年10月25日)と内心思っている。父親は「レンドルミンみたいなダメ薬」ばかり相手にして、彼女にとっても大切な薬のことは見向きもしない。ばかりでなく、その薬を発見次第処分してしまう。

その上、夢の中では枝豆を料理に使ってくれない。

父親は枝豆を食べてくれない。

つまり、父親はあやを食べてくれない。

つまり、父親はあやを理解してくれない。

ピルケースと枝豆はなんと似ていることだろう。

夢の中で父親に枝豆を届けたように、彼女はピルケースの中から薬を取り出しては父親に分け与える。レンドルミンは父親を安心させ快眠に導く。彼女にとってはそれが少々面白くない。彼女が父親に与えたいのは「レンドルミンみたいなダメ薬」ではないのだ。彼女が父親に本当に飲んで欲しいのは、つまり、理解して欲しいのは、もっと大切な彼女自身の何かなのだ。しかし、それをうまく言葉で表現することは彼女には出来なかったのに違いない。入院が決まった1998年7月6日に彼女はこう書いている。

泣いているときは呼吸は苦しいし親に怒られるし、言葉なんて言う概念を持たない状態になりたいとか喋れなくなりたいとかこのままずっと眠って目覚めることなく死にたい… とかいろんなコトを考えました。

最後に父親は言いたいことを文章にして置いておけと言ったので、入院したいことを遠慮なく書いてみたいと思っていますが、いざ紙の前に来たら書けないかもしれません。今書くところを想像しただけで上手く言い表せないんですけどなんか涙が出てきます。
せめて理解し合えるものなら 親と理解し合いたいです。言いたいことが上手く伝わると良いんですけど…。Nanjyo 1998.7.6

これは、自虐的でアイロニックないつもの彼女には似合わない、驚くほど素直な心情吐露だと言わざるを得ないのではないか。

不特定多数に向けた日記ではあれほど饒舌な彼女が、父親へのメッセージとなると何も書くことが出来ない。「なんか涙が出て」来るだけだ。

結局、ピルケースからクスリは溢れ出し、南条あやは1999年3月30日、カラオケボックスで向精神薬を大量に服用した中毒症状で心停止し、死を迎えた。

彼女は死んだ。

彼女はもういない。

そして、私が彼女のテキストに付け加えられるものも、もうこれ以上にはない。

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初出公開:2000.11.20  最終更新:2001.10.21
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